美濃への思い
創業者 顧問 近藤征雄
今日、環境型社会では地球規模でリサイクルが叫ばれています。
はからずも私はこの事業を天職と心得、半世紀にわたり一貫して続けて参りました。
古紙は私たち日本の宝と言われるほど貴重な資源です。
日本は資源小国であり、製紙原料であるパルプ、チップの不足も例外ではありません。しかしそれを補っているのが古紙です。
古紙一トンは緑の立ち木二十本に相当します。
私は昭和四年六月生まれ、この道に入って六十七年(2020年現在)となります。
東京足立区千住に本社を構え、現在は関東一円に15ヶ所の拠点を持ち、各拠点にて集荷業者がつぎつぎと持ち込んでくる古紙を新鋭設備がフル稼働で仕分けしています。
その量は月間2万トンになり、日本全国の1%を占めております。
集荷された古紙は王子製紙、日本製紙、レンゴーをはじめ全国二十以上の製紙工場へ出荷されます。
今、国内における古紙の回収率は81%、利用率64%といわれ、これは世界一の率です。
紙は文化のバロメーターであり、これを支える製紙産業の一端を担っているのでとてもやりがいを感じています。
美濃市の街並
私は手漉(す)き和紙のふる里として知られる岐阜県武儀郡上牧村乙狩(現美濃市)の出身で、生まれた時から紙とは深い縁がありました。
男女七人兄弟の三男で、地元の高等小学校を出て稼業の手すきを手伝うようになりました。
当時、手すきの美濃紙は盛んでしたが私の家は兄二人が兵隊に行き、父親は村会議員をしていたので忙しくしていました。
そのため私は男手が足りないことから学校へ行くころからよく働きました。
昭和二十二年、私は十八歳の時に東京に上京し、神田で製紙原料問屋を営んでいた縁者の元で住み込みで入り修行をしました。
二十三歳で独立し、こうして今日まで前進してこれましたのも皆様の多大なご支援があったからだと深く感謝しております。
開業以来、裸一貫で仕事に明け暮れた六十七年(2020年現在)ではありましたが、その間、小規模ながら少しづつ形態が整いつつある頃、新規参入業者の宿命故のリスク、販売先の倒産に伴う度々の被害を被る苦難の時代を社員家族運命共同体の理念の基により強く団結し、克服してまいりました。
その後、高度成長経済の波にも支えられ、順調に事業を維持させながら「災害ゼロ安全設備の拡充」「良品の供給と信頼による受注増加」「優良社員の育成と営業所増加と信頼できる社員の配置」「取扱高の増量と営業所増設対応」「企業体質の強化と財務体質の強化」の五つの目標の実行に務めながら着々と成果を挙げてまいることができました。
千住神社にて営業所所長全員で安全祈願
皆々様に支えられながら、各営業所においても全商品を優良企業に滞りなく納入できるよう努力しておりますが、この理想的共存関係をこれからも限りなく継続しながら、次の百年の節目に向けてさらに精進を重ねつつ、発展を期したいと希っておりますので、皆々様におかれましては、今後とも旧倍のご支援ご鞭撻を賜わりますよう、お願い申し上げます。